こんにちは。BASSA上石神井店の山川です。
門田会長に「名こそ惜しけれ」という言葉を教わりました。
平たく言うと、自分の行うことには自分が責任を持つ。ということのようです。
以下、備忘録として引用させていただきました。↓
「名こそ惜しけれ」とは、いうまでもなく坂東武者の中に育った「美学」であり、生きるうえでの基本基準とでもいうべきものである。もちろん宗教ではなく、また哲学という概念にもあわない。この概念を定義するのは難しいので、私はこれを「美学」と呼んでいる。生きるうえでの、美意識に関する感性に基づく、基本的な姿勢とでもいっておく。
鎌倉時代から、現日本の原型は形作られたのだから、その社会におけるエリート層の武士の美学は次第に日本人全体のものとなっていく。名こそ惜しけれ、自分の行うことには自分が責任を持つ、ということである。恥ずかしい仕事はできないということである。自分の名にかけて、物事はキチンとやるという自意識を高く持った誇り高い存在を支えている美意識なのだ。
農民が作る農産物、職人が作る制作品、これらを見れば、日本人は庶民の隅々までこの「名こそ惜しけれ」の美学を持っていたことがわかる。日系移民という、高等教育を受けたわけでもなく、熱烈な仏教徒でもない普通の民衆が海外の地であれほどの評価を得たのも、この美学が根底にあったからに違いないと私は確信している。
この美学は、戦後、高い品質の工業製品を生み出す原動力にもなった。工場の現場の一人一人が無意識であってもこの美学を持っていたがために、自分が関係した製品は、恥ずかしくないものを市場に出すのだという信念があった。今もあるはずだ。
なるほど。日本人のそういう美学が今日の日本を作ってきたということがよく理解できました。
しっかりと受け継ぎたい美学ですね。